イエヤスは1542年、岡崎=現在の愛知県岡崎市のボス・松平広忠(マツダイラ・ヒロタダ)の長男として生まれ、竹千代(タケチヨ)という幼名で呼ばれました。しかし、マツダイラ・ファミリーにはパワーがなく、権力者の今川義元に助けてもらうため、子供のイエヤスを人質として送ります。可愛い長男を人質に差し出すなんて、いくらナンでも親として、ヒロタダはサイテーの冷血漢であります。
しか〜し!今までこのコーナーで勉強してきたように、戦国時代には政略結婚や人質作戦が日常茶飯事のジョートーシュダンだったのです。ところが!裏切者がイエヤスをさらい、イマガワさんと対立する織田さんちに連れて行ってしまったのです。オダさんちには兄貴格のノブナガがいて、イエヤスは人質でありながらノブナガと仲良しになり、数年を過ごします。しか〜し!そんな友情物語などムカンケーの戦国時代、イエヤスはイマガワさんちに送り返され、さらに数年の人質生活をさせられました。イエヤスの幼少期は、まさに人質人生だったのですが、イマガワさんちで英才教育を受けた天才軍師・太原雪斎(タイゲン・セッサイ)は、イエヤスの人生に多大な恩恵を与えたと言われています。その後、ノブナガがイマガワさんをボコボコにしたので(桶挟間の戦い)、ここぞとばかりにイエヤスは独立し、幼馴染みのノブナガと手を組みます。(1560年/清洲同盟)
それからイエヤスは、イマガワさんの土地を武田信玄(タケダ・シンゲン)と分け合い、シンゲンとも仲良くします。しか〜し!裏切り当り前の戦国時代、シンゲンはイエヤスと対立、ついに両者は激突。ここぞとばかりにイエヤスは、ノブナガ軍と一緒にシンゲン軍団に立ち向かいますが、逆にコテンパンにやられてしまいます。(1572年/三方ヶ原の戦い)
しか〜し!今までこのコーナーで勉強してきたように、戦国時代には政略結婚や人質作戦が日常茶飯事のジョートーシュダンだったのです。ところが!裏切者がイエヤスをさらい、イマガワさんと対立する織田さんちに連れて行ってしまったのです。オダさんちには兄貴格のノブナガがいて、イエヤスは人質でありながらノブナガと仲良しになり、数年を過ごします。しか〜し!そんな友情物語などムカンケーの戦国時代、イエヤスはイマガワさんちに送り返され、さらに数年の人質生活をさせられました。イエヤスの幼少期は、まさに人質人生だったのですが、イマガワさんちで英才教育を受けた天才軍師・太原雪斎(タイゲン・セッサイ)は、イエヤスの人生に多大な恩恵を与えたと言われています。その後、ノブナガがイマガワさんをボコボコにしたので(桶挟間の戦い)、ここぞとばかりにイエヤスは独立し、幼馴染みのノブナガと手を組みます。(1560年/清洲同盟)
それからイエヤスは、イマガワさんの土地を武田信玄(タケダ・シンゲン)と分け合い、シンゲンとも仲良くします。しか〜し!裏切り当り前の戦国時代、シンゲンはイエヤスと対立、ついに両者は激突。ここぞとばかりにイエヤスは、ノブナガ軍と一緒にシンゲン軍団に立ち向かいますが、逆にコテンパンにやられてしまいます。(1572年/三方ヶ原の戦い)

この時、さすがのイエヤスも死の恐怖におびえるあまり、馬上でウ●チをもらしてしまいました。あまりの屈辱にイエヤスは、敗戦の苦渋に満ちた肖像画を描かせ、その後の戒めにしたと言われています。こんな絵を残すなんて、ウ●チをもらしてもイエヤス、やはりタダモノではありません。ちなみにこの戦いはイエヤスの人生において最初で最後の敗戦となりました。
その後、亡きシンゲンの跡を勝頼(カツヨリ)が継ぐと、ここぞとばかりにイエヤスはタケダ軍団に逆襲し優位に立ちます。(1575年/長篠の戦い) それでもイエヤスの受難は続きます。1579年、イエヤスの奥さんと息子が、タケダ軍団のスパイだとノブナガが言い出したのです。もちろんイエヤスは否定しますが、ノブナガとも仲良くしたいので、なんと、奥さんを殺して息子も切腹させたのです。肉親の死と引き換えにノブナガの信頼を得たイエヤスは、ここぞとばかりにノブナガと協力して宿敵・タケダ軍団と激戦、カツヨリを切腹させてタケダ軍団を壊滅させました。(1582年/武田征伐)
しか〜し!同年6月、本能寺の変でノブナガが明智光秀(アケチ・ミツヒデ) に討たれると、ここぞとばかりにイエヤスは甲斐(=山梨)、信濃(=長野)へ勢力を拡大します。こうしてイエヤスは天下獲りを目指しますが、一歩リードしていた豊臣秀吉(トヨトミ・ヒデヨシ) に栄冠を奪われます。ヒデヨシ軍団には勝てないと判断したイエヤスは、ここぞとばかりにヒデヨシとも仲良くします。
しか〜し!1586年、実力をつけてきたイエヤスの足を引っ張ろうと、ヒデヨシはイエヤスを大坂城に呼びつけます。しか〜し!ここぞとばかりにイエヤスはヒデヨシの命令を無視。するとヒデヨシは自分の妹=朝日姫(アサヒヒメ)をイエヤスに嫁がせます。しか〜し!姫とは名ばかりで高齢熟年のプリンセス・アサヒ。結婚しても嬉しくないイエヤスは、さらにヒデヨシの命令に逆らいます。なら結婚しなけりゃイイのにと思うのですが、ずっと独身だったイエヤス、それなりに弱味があったのかもしれません。するとヒデヨシ、今度は自分の実母・大政所(オオマンドコロ)を人質に差し出したのです。そこまでされては仕方なく、イエヤスは大坂城に出向き、ヒデヨシに忠誠を誓ったのです。しか〜し!今度はイエヤスの親戚・北条(ホウジョウ)さんがヒデヨシに逆らいます。なんとか仲良くさせようとイエヤスは頑張るのですが、ホウジョウさんはOKせず、イエヤスはヒデヨシ軍団と一緒に親戚のホウジョウさんをやっつけました。(1590年/小田原の役) ヒデヨシはイエヤスが長年に渡り治めていた三河、遠江、駿河、信濃、甲斐から、北条氏が治めていた関東へイエヤスを国替えさせました。先祖伝来の地を追われたイエヤスではありますが、広大な領地を手に入れ、富と権力を手に入れます。
こうした権力闘争を繰り広げながら、イエヤスはヒデヨシ政権の中枢で地位を確立します。1598年、病気に倒れたヒデヨシは、跡継ぎの息子・秀頼(ヒデヨリ)をフォローするため、五大老・五奉行の制度を定め、五大老の筆頭にイエヤスを任命しました。しか〜し!同年8月にヒデヨシが亡くなると、ここぞとばかりにイエヤスは、ヒデヨシが作った規則をバンバン無視します。そして1600年、上杉景勝(ウエスギ・カゲカツ)がイエヤスにムカついていると聞かされると、上杉に謀反の疑いをかけ、討伐の大義名分を得たイエヤスはここぞとばかりに攻撃を決意。周囲の人達は反対したのですが、カゲカツ討伐に向かいます。しか〜し!イエヤス出兵を知った石田三成(イシダ・ミツナリ)が、カゲカツと組んでイエヤスの挟み撃ち計画を立てます。しか〜し!その計画はお見通し。イエヤスは、ここぞとばかりにカゲカツ攻撃を仲間に任せ、ミツナリ撃破のためにUターンしたのです。両軍は関ヶ原(=岐阜県)で大激突し、イエヤス軍団にピンチな局面があったものの、最終的にはイエヤス軍団の完勝となったのです。(関ヶ原の戦い)
そして、ここぞとばかりにイエヤスは武蔵国・江戸=現在の東京都千代田区の江戸城に幕府を開き、天下統一をアピールしました。さらに!亡きヒデヨシを支持するトヨトミ軍団を、大坂冬の陣&大坂夏の陣(1614〜1615年)で撃破して、イエヤス支配を磐石なものにします。
時には非情とも思えるほど冷静に状況判断をしたイエヤスは、江戸の整地・治水などを押し進め、世界有数のビッグ・メトロポリタン<東京>の生みの親とも言えます。ヒデヨシは成り上がりの孤独なボスでしたが、イエヤスのバックにはトクガワ・ファミリーを代々支える多くのブレイン(譜代大名)がいました。トクガワ・ブレイン達は、かつてウ●チをもらされたタケダ・ファミリーまでも味方につけて学び、さらに徹底した組織社会を築き、イエヤスの天下統一を強力に援護したのです。21世紀の日本でもイエヤスを尊敬する人が多いのは、イエヤスの先見の明や見事な組織作りが、今でも色褪せていないからでしょう。
しか〜し!1616年、健康オタクだったイエヤスなのに、鯛の天ぷらで食中毒になり、あえなく亡くなります。どんな時にも気を抜かない…イエヤスが最期に遺した教訓です。
その後、亡きシンゲンの跡を勝頼(カツヨリ)が継ぐと、ここぞとばかりにイエヤスはタケダ軍団に逆襲し優位に立ちます。(1575年/長篠の戦い) それでもイエヤスの受難は続きます。1579年、イエヤスの奥さんと息子が、タケダ軍団のスパイだとノブナガが言い出したのです。もちろんイエヤスは否定しますが、ノブナガとも仲良くしたいので、なんと、奥さんを殺して息子も切腹させたのです。肉親の死と引き換えにノブナガの信頼を得たイエヤスは、ここぞとばかりにノブナガと協力して宿敵・タケダ軍団と激戦、カツヨリを切腹させてタケダ軍団を壊滅させました。(1582年/武田征伐)
しか〜し!同年6月、本能寺の変でノブナガが明智光秀(アケチ・ミツヒデ) に討たれると、ここぞとばかりにイエヤスは甲斐(=山梨)、信濃(=長野)へ勢力を拡大します。こうしてイエヤスは天下獲りを目指しますが、一歩リードしていた豊臣秀吉(トヨトミ・ヒデヨシ) に栄冠を奪われます。ヒデヨシ軍団には勝てないと判断したイエヤスは、ここぞとばかりにヒデヨシとも仲良くします。
しか〜し!1586年、実力をつけてきたイエヤスの足を引っ張ろうと、ヒデヨシはイエヤスを大坂城に呼びつけます。しか〜し!ここぞとばかりにイエヤスはヒデヨシの命令を無視。するとヒデヨシは自分の妹=朝日姫(アサヒヒメ)をイエヤスに嫁がせます。しか〜し!姫とは名ばかりで高齢熟年のプリンセス・アサヒ。結婚しても嬉しくないイエヤスは、さらにヒデヨシの命令に逆らいます。なら結婚しなけりゃイイのにと思うのですが、ずっと独身だったイエヤス、それなりに弱味があったのかもしれません。するとヒデヨシ、今度は自分の実母・大政所(オオマンドコロ)を人質に差し出したのです。そこまでされては仕方なく、イエヤスは大坂城に出向き、ヒデヨシに忠誠を誓ったのです。しか〜し!今度はイエヤスの親戚・北条(ホウジョウ)さんがヒデヨシに逆らいます。なんとか仲良くさせようとイエヤスは頑張るのですが、ホウジョウさんはOKせず、イエヤスはヒデヨシ軍団と一緒に親戚のホウジョウさんをやっつけました。(1590年/小田原の役) ヒデヨシはイエヤスが長年に渡り治めていた三河、遠江、駿河、信濃、甲斐から、北条氏が治めていた関東へイエヤスを国替えさせました。先祖伝来の地を追われたイエヤスではありますが、広大な領地を手に入れ、富と権力を手に入れます。
こうした権力闘争を繰り広げながら、イエヤスはヒデヨシ政権の中枢で地位を確立します。1598年、病気に倒れたヒデヨシは、跡継ぎの息子・秀頼(ヒデヨリ)をフォローするため、五大老・五奉行の制度を定め、五大老の筆頭にイエヤスを任命しました。しか〜し!同年8月にヒデヨシが亡くなると、ここぞとばかりにイエヤスは、ヒデヨシが作った規則をバンバン無視します。そして1600年、上杉景勝(ウエスギ・カゲカツ)がイエヤスにムカついていると聞かされると、上杉に謀反の疑いをかけ、討伐の大義名分を得たイエヤスはここぞとばかりに攻撃を決意。周囲の人達は反対したのですが、カゲカツ討伐に向かいます。しか〜し!イエヤス出兵を知った石田三成(イシダ・ミツナリ)が、カゲカツと組んでイエヤスの挟み撃ち計画を立てます。しか〜し!その計画はお見通し。イエヤスは、ここぞとばかりにカゲカツ攻撃を仲間に任せ、ミツナリ撃破のためにUターンしたのです。両軍は関ヶ原(=岐阜県)で大激突し、イエヤス軍団にピンチな局面があったものの、最終的にはイエヤス軍団の完勝となったのです。(関ヶ原の戦い)
そして、ここぞとばかりにイエヤスは武蔵国・江戸=現在の東京都千代田区の江戸城に幕府を開き、天下統一をアピールしました。さらに!亡きヒデヨシを支持するトヨトミ軍団を、大坂冬の陣&大坂夏の陣(1614〜1615年)で撃破して、イエヤス支配を磐石なものにします。
時には非情とも思えるほど冷静に状況判断をしたイエヤスは、江戸の整地・治水などを押し進め、世界有数のビッグ・メトロポリタン<東京>の生みの親とも言えます。ヒデヨシは成り上がりの孤独なボスでしたが、イエヤスのバックにはトクガワ・ファミリーを代々支える多くのブレイン(譜代大名)がいました。トクガワ・ブレイン達は、かつてウ●チをもらされたタケダ・ファミリーまでも味方につけて学び、さらに徹底した組織社会を築き、イエヤスの天下統一を強力に援護したのです。21世紀の日本でもイエヤスを尊敬する人が多いのは、イエヤスの先見の明や見事な組織作りが、今でも色褪せていないからでしょう。
しか〜し!1616年、健康オタクだったイエヤスなのに、鯛の天ぷらで食中毒になり、あえなく亡くなります。どんな時にも気を抜かない…イエヤスが最期に遺した教訓です。
長い間の御愛読、本当にありがとうございました!
歴史は永遠に不滅です!
【完】