Detailed
Profile

TOSHINOBU KUBOTA

  • 2022

    この年にできることを久保田&スタッフで鋭意画策中。

  • 2021

    今やれることをやるのだ!2

    4月&5月 「Beautiful People Tour」最後の延期公演4本を敢行。一部チケット払い戻し、再販売、動員制限、感染防止対策等々の神経戦となるが、遂に全国ツアーすべてを終了させる。お馴染みのCall & Responseができない代わりにアンコールでの「心の声でYeah!」と切々と歌い上げる姿に客席は感動に包まれた。

    11月 こちらも2回の延期を強いられた「AMAZONS 35周年LIVE」にゲスト出演。デビューの頃にお世話になった3人のお姉さんたちと、「Time Showerに射たれて…」「You were mine」を歌唱。当時のアレンジ、ダンスを披露し、ノスタルジーを呼ぶ。

  • 2020

    今やれることをやるのだ!

    年明けから新型コロナウィルスの脅威が迫り、2月末の京都公演を最後に全国ツアー残り4本が延期となる。夏に順延されたものの、コロナ禍は収まらず再度延期。

    8月 SUZUKI「エスクード」CM出演。時勢柄、オンライン・ライブをモチーフにした企画となるが、大地を疾走する大きな映像は閉塞的な世の中の清涼剤となる。このCMのテーマソング「Boogie Ride」と、コロナ禍にあっても希望を馳せる「空の詩」が配信限定シングルとして10月にリリース。

    11月 昨年から決定していた初のBLUE NOTE TOKYOにて「Bossa & Lovers Rock Night」を実施。6日間12公演を50%のキャパシティで行う。お酒も飲めるオトナな空間を生かして、自身が好きなボサノバとレゲエに特化した特別な内容に挑戦する。ゆったりとした優しい歌と演奏でお客さんは慰められ、涙する人多数。

  • 2019

    三半規管を鍛えた全国ツアー

    11月 前年より制作を始めていた4年半ぶりのオリジナル・アルバム「Beautiful People」発表。KOSEのCM曲、元気ソングやお得意の胸キュンバラードまで収録の、カラフルなアルバムと評判を得る。またジャケット写真で初の全裸を披露。撮影時は立ち会った人全員のスマホの電源をOFFにしてもらい、盗撮厳禁とした。

    10月よりアルバムと同タイトルの全国ツアー39本がスタート。アルバム発売日前となった二つの公演については、新曲を知らないお客さんのために開演前にバスローブ姿でノリの練習をさせるという暴挙に出る。演出として回転するステージを起用。プランニングの段階では大喜びしていたのに、いざ回転ステージで歌うと乗り物酔いしてしまい、これでは歌えないとGive up寸前となる。しかしながら演出の素晴らしさの方を選択することになり、三半規管を鍛えるツアーとなる。ちなみに三半規管が敏感な人はリズム感が良いという説がある。

  • 2018

    じっくり音楽と向き合いたい

    3月 レジェンドのファースト・アルバムを紐解くという企画「SONGS & FRIENDS」に出演。第一回目となる荒井由実「ひこうき雲」から数曲を披露。
    KOSE ESPRIQUE CMソング「You Go Lady」を久しぶりのシングル盤として発表。

    5月 ハイブランド「PIAGET」の広告モデルとなる。

    10月 デビューから7年在籍したプロダクションのコラボレーション・ライブ「CLUB CITTA’ 30th Anniversary Flying KITTY Party 2018」に参加。当時Kittyが運営していたCLUB CITTA’にて高中正義氏、来生たかお氏と共演。錚々たる先輩方の中で末っ子の久保田は小突きまわされるものの、ミュージシャンシップ溢れるライブに心躍らされる。

    11月 KOSE ESPRIQUE CMソング第2弾「So Beautiful」を発表。年末のテレビ特番で披露。

  • 2017

    出たー!天邪鬼(あまのじゃく)久保田の真骨頂!

    2月 デビュー当時のバンドマスターだった武部聡氏の還暦お祝いイベントに出演。武部氏アレンジの「流星のサドル」を披露し、別のシーンではお得意のStevie Wonder「Another Star」を歌いご満悦となる。

    4月フジテレビ主催「B.LEAGE EARLY CUP」の応援サポーターに。大会テーマソングとして新たにリミックスされた「SOUL BANGIN’」(1999年)が起用される。躍動感あふれるこの曲がバスケットボールにベスト・マッチ! 30周年イヤーの終盤、駆け込むようにライブ「30周年特別企画第3弾 3周まわって素でLive!~THE HOUSE PARTY~」が決定。30周年に選んだ会場は何とライブハウス。何の演出もセットも無い場所でバンドだけで歌いたいという久保田ならではの天邪鬼ぶり。チケットの争奪戦にスタッフは申し訳なさで頭を悩ませることとなる。6月13日の豊洲PITを皮切りに10公演を実施。また7年ぶりに夏フェスにも出演し、熱い夏となる。

    9月 ライブハウスショーでチケットを取れなかったファンのために、初となるライブ盤「3周まわって素でLive! 〜THE HOUSE PARTY!〜」を発表。音源だけのライブ盤は聴く人に無限の想像力を与えると今更ながら実感する。

  • 2016

    あれやこれやの30周年企画!

    6月 デビュー30周年を迎える。
    30周年特別企画第1弾として「30th Anniversary Vinyl Collection」発表。日本国内で過去発売された13アイテムのアルバムすべてをアナログ化しボックスに収めた大型商品。

    特別企画第2弾は初のコラボレーション・アルバム「THE BADDEST~Collaboration~」。(11月23日発売)30年に渡るコラボレーションの集大成である今アルバムは日本語版と英語版の2枚組。日米問わず活躍を続けた久保田ならではの錚々たる面々に、改めて大きなレスペクトを人々から得る。ここにおさめられた新曲はMusiq Soulchildとの「SUKIYAKI」、AIとの「Soul 2 Soul」。今なお久保田の音楽の幅の広さを見せつける快心作。

    10月 ニッポン放送主催「岡村隆史ANN歌謡際」に飛び入り。「Missing」を歌うも共演の出川哲朗氏に邪魔される。

    11月 オムニバス・ライブJ-WAVE主催「Autumn Live」FM COCOLO主催「Cool Vibes」に出演。

  • 2015

    レジェンド、ここにあり!

    3月 オリジナル・ニューアルバム「L.O.K」発表。4年半ぶりの王道R&B Albumとして、レジェンドの位置を確立する。

    4月 全国45本のコンサート・ツアー実施。15万人を動員。圧倒的なパフォーマンスで人々を魅せた。

  • 2014

    約4年ぶりのオリジナル・アルバム制作に没頭!

    2年越しのフォルクスワーゲンのCMが依然好調。6月18日にポンポンポロン、ポンポン(「Bring me up!」)に続くCM曲「Upside Down」と、これまた評判のSchweppes CM曲「Free Style」がシングル化。次回作アルバム制作に費やす1年。

  • 2013

    ボサノバを追ってブラジルへ そして自身のステージへ

    1月 Sony Music主催「Beat Connection」公演にて「Toshinobu Kubota presents “The JAM”」を担当。およそ1時間分をプロデュースし、今は亡きR&Bレジェンドへのオマージュでテーマを構成。エンターテイメント性と音楽性に富んだパフォーマンスに多くの賞賛を得る。

    4月 “もうひとりの久保田利伸~Parallel World Series~”第2弾のレコーディングのためブラジルへ。ボサノバの創始者アントニオ・カルロスジョビンの孫であり、旧知の仲のダニエル・ジョビンとセッションを行う。日本テレビ系「Another Sky」も収録。 その後NYに渡り、Paul StuartのCM撮影がPaul Stuart本店にて行われる。

    5月 配信のみで扱われていたフォルクスワーゲン“up!”のCMテーマソング「Bring me up!」の評判が上がる一方で、満を持してCD化。

    7月 企画アルバム「Parallel World Ⅱ KUBOSSA」発表。シリーズ前作の「KUBOJAH」制作時から次はボサノバと決めていた企画が22年を経て実現。ボサノバクラシックから自曲のボサノバアレンジバージョンなどが収録された逸品。 US老舗ブランド「Paul Stuart」のCM放映がスタート。

    8月 「Toshinobu Kubota Special Tour with Acoustic Band ★in the Universe★」スタート。初の野外ソロ、それもアコースティックという今までにない企画性の高いツアーを行い、何より歌をじっくりと聴かせるパフォーマンスで客席を唸らせる。追加公演を含め全国13本。

    12月 日本コカ・コーラ「Schweppes」のCFに出演。フレンチブルドックと戯れる映像が評判となる。

  • 2012

    インドとポンポンポロン、ポンポン!

    1月 昨年からの「Gold Skool Tour」の集大成、国立代々木競技場、大阪城ホール、名古屋ガイシアリーナにて「Party ain’t A Party!」を実施。大成功をおさめる。

    4月より2010年発表「Timeless Fly」の制作時から足掛け3年に渡るAnniversary Yearのすべてを終了させ、充電期間に入る。

    5月 5年ぶりのLIVE DVD「25th Anniversary Toshinobu Kubota Concert Tour 2012“Party ain’t A Party!”」発表。

    6月 初のインド撮影旅行へ。1年で最も暑い季節を誤って選んでしまい、大変な思いをする。

    9月 フォルクスワーゲン「up!」の新CMに出演。使用された楽曲「Bring me up!」の歌詞の一部である“Pon Pon Po-Po-Pon Pon”が大評判を呼び、小学生にまで浸透する。

    11月 初の写真集「Toshinobu Kubota in INDIA」が幻冬舎より発売。

  • 2011

    デビュー25周年は本気のAnniversary!

    昨年のPre-Yearを受け、デビュー25周年の年を迎える。米国では“25(Quarter)”に意味を持つものが多く、普段Anniversaryに興味の無い久保田もこの年を華やかなものにしたいとスタッフに決意表明をする。

    7月 “25周年Anniversary Song「流れ星と恋の雨」”をリリース。デビューの年から現在に至るまで発表してきた楽曲のタイトルをモチーフに作詞し、応援してくれた人々への感謝を精いっぱい込めた作品となる。

    8月 15枚目となるオリジナル・アルバム「Gold Skool」を発表。収録されたEXILE ATSUSHIとのコラボ曲「Golden Smile」は震災で傷ついた人々に向けた壮大なLOVE SONGとして注目を集める。

    9月 角川配給映画「夜明けの街で」(10月公開)エンディングテーマ曲「声にできない」発表。Music Videoは上海で撮影され、中国の国民的女優イン・タオと共演。彼女のプロフェッショナルな演技に度肝を抜く。

    10月 25周年Anniversary Tour「TOSHINOBU KUBOTA Gold Skool Tour」スタート。
    15万人を動員する。2年連続の全国ツアーはデビュー時以来であり、この年の久保田の意気込みを見事にかたちにする。

    11月 25周年Super Best「THE BADDEST~Hit Parade~」(2枚組)を発表。今までの名曲・ヒット曲が余すことなくおさめられ、爆発的な人気を得る。

  • 2010

    月9主題歌を引っ提げて、夏フェスに久保田旋風!

    1月27日 NHKドラマ「君たちに明日はない」主題歌「Tomorrow Waltz」リリース。

    2月24日 約4年ぶりとなるオリジナル・アルバム「Timeless Fly」リリース。
    昨今の日本の音楽シーンに刺激を受け、多くのフィーチャリング・アーティストを迎える。
    KREVA、MISIAを始め、新進気鋭のヒップホッパー、小泉今日子等の参加で、よりバラエティに富んだ、かつ力強い作品となる。

    6月16日 フジテレビ系ドラマ「月の恋人〜Moon Lovers〜」主題歌「LOVE RAIN 〜恋の雨〜」リリース。久保田ならではのLove Songは大いに支持されヒットとなる。 6月20日より「Timeless Fly Tour」スタート。

    この年は「ap bank」「J-Wave Live」等々、多くのイベントにも出演し、賞賛を得る。 11月24日 愛と雨をテーマにした企画アルバム「LOVE & RAIN〜LOVE SONGS〜」リリース。

  • 2009

    アフロをひと回り小さくしてウィスキーを飲む!

    4月18日 「ブラックニッカクリアブレンド」のCM出演決定。2007年より出演の松尾貴史氏と共に、「仲間が増えた編」に登場。大人の余裕を感じさせる二人が電話で会話をするお洒落な演出が話題となる。エレガントなオトナを演じるために大きかったアフロヘアをひと回り小さくする。CMに合わせて書き下ろした曲「SoulMate〜君がいるから〜」が映像を引きたてる。

    4月22日 「Soul Mate〜君がいるから〜」CMバージョンの配信スタート。

  • 2008

    今年はMISIAとコラボレーション! プロモーション・ビデオでは顔マックロで100%ブラック!?

    今年はMISIAとコラボレーション! プロモーション・ビデオでは顔マックロで100%ブラック!?

    3月26日 久保田利伸 feat. MISIA「FLYING EASY LOVING CRAZY」リリース。

    5月26、27日 「MISIA Africa Live Yokohama」(横浜BLITZ)にゲスト出演。「FLYING EASY LOVING CRAZY」をライヴで初披露。

    6月11日 クライスラー・グランドボイジャーとのコラボレーションシングル「ooh wee Rida」を発売(配信のみ)。

    ミュージック・ビデオは久保田利伸×クライスラー・グランドボイジャー×MTVのコラボレーションで制作。久保田は顔を黒塗りにし、100%ブラックの顔立に本人も驚愕する。

    8月6日 世界のトップ・アーティスト達が久保田の楽曲を歌った「WORLD SINGS KUBOTA」がリリースされる。Caron WheelerやPatti Austin、Arrested Developmentなど、誰もが知っているアーティストが久保田の曲をカヴァーし、それでいて自分の個性を豊かに表現している。まさにトップ・アーティストならではの競演だ。

    12月3日 発売のバブル・ガム再結成の新曲「Daddy’s Party Night(懲りないオヤジの応援歌)」のミュージック・ビデオにカメオ出演。久保田は不思議な医者の役でチラリと出ている。この年は日本での活動の合間に、次回作のデモ制作などを積極的に行う。

  • 2007

    「MTV iCon」に日本人初ノミネート! KREVAとのコラボレーションも実現!

    年明け早々からKREVAとのコラボ曲の構想を練る。しかし、気に入ったサンプリング曲の使用許諾がなかなか取れず、発売が遅れることに…。

    3月8日 カリスマ・アーティストを讃えるプログラム「MTV iCon」の日本人最初のアーティストに選ばれる。久保田をレスペクトする新進気鋭のミュージシャンやラッパー、ミリオンセラー・アーティストまで多数(AI、KREVA、平井堅、EXILE・ATSUSHI、DOUBLE等々、プレゼンターにBro.TOM、黒木メイサ、DJ KAORI等)が参加して、トリビュート・イベント「MTV iCon:久保田利伸 powered by 楽天オークション」が渋谷AXで開催される。

    イベント終了後、久保田がステージに戻り、SunMinと「Keep Holding U」をデュエット。さらに「Missing」まで歌う嬉しいオマケがあった。ちなみに、あまりに完璧なSunMinとのデュエットだったため、「久保田とSunMinはリハーサルをしていた」という噂がギョーカイで流れたが、あれはまったく久保田の気まぐれハプニングだった。

    5月11日〜6月23日 日本のHIP HOPシーンのトップを走るKREVAとのコラボレーション・ライヴ「Nets Super Live『JFN Human Conscious’ Choice〜Unity!』久保田利伸meets KREVA」(全国9本)スタート。もう何年も一緒にやっているような見事なコラボレーションに、久保田とKREVAの双方のファンが熱狂した。

    8月8日 KREVAとのコラボレーション曲「M☆A☆G☆I☆C」を、”久保田利伸 meets KREVA”名義でリリース。久保田にとって、日本人との初のコラボとなる。 同時にLIVE DVD「LIVE 2006 “WE FOR REAL”」をリリース。

  • 2006

    全国ツアー「WE FOR REAL」の最中にSunMinとデュエット「Keep Holding U」リリース!

    3月1日 日米通算14枚目のオリジナル・アルバム「FOR REAL?」リリース。「FOR REAL?」という問いかけ系の発音が難しく、プロモーションで出演したラジオ番組のDJ達を大いに悩ませた。

    5月4日〜8月6日 全国ツアー「WE FOR REAL」(全国22本)スタート。息の合ったメンバー達と、フリー・スタイルなステージで見事なパフォーマンスを見せくれる。

    7月5日 映画「日本沈没」(主演:草なぎ剛/柴咲コウ)の主題歌「Keep Holding U」を、韓国の新人アーティストSunMinとデュエットし”SunMin thanX Kubota”名義でリリース。日本武道館で開かれた試写会で、はじめて生デュエットを披露。満員の観客が聴き惚れた。

    その後、SunMinは全国ツアー「WE FOR REAL」の代々木公演にも飛び入り参加し、素晴らしい歌声を聴かせてくれた。

    この年末、コラボレーション企画の話が持ち上がり、KREVAの名前が浮上。急速に話が進み、来年へとつづく!

  • 2005

    今年は日本盤リリース・ラッシュ! 怒濤の3連発だッ!

    昨年はアメリカの活動で日本にご無沙汰した久保田だったが、新年早々から日本の新曲リリースに向けて制作を開始。名曲が次々と沸き上がる!

    4月27日 日本映画の名作「Shall we ダンス?」をハリウッドがリメイクした「Shall we Dance?」(主演:リチャード・ギア/ジェニファー・ロペス)のテーマ曲「a Love Stoty」リリース。

    「a Love Stoty」のプロモーション・ビデオは横浜の大桟橋を舞台に、吹越満さんと吉本多香美さんの共演で撮影され、久保田も1人2役の大活躍だった。カップリングの「Sign of Love」は のテーマ・ソングになり、イサム・ノグチの作品を飾る北海道モエレ山公園でのTV特番にも出演した。

    8月24日 TV朝日系ドラマ「菊次郎とさき」の主題歌「Club Happiness」リリース。プロモーション・ビデオにはニューヨークで知り合いになったDJ KAORIが友情出演。

    11月2日 映画「同じ月を見ている」(主演:窪塚洋介/黒木メイサ)の主題歌「君のそばに」リリース。「君のそばに」のプロモーション・ビデオには、映画にも出演している黒木メイサさんが参加し、あまりの綺麗さに見とれつつ、幻想的な雰囲気の映像に仕上がった。カップリング曲「Rock wit me Poh’!」は、NTV系「進ぬ!電波少年」の企画に寄せたテーマ・ソングと同時に、「ぐるぐるナインティナイン」のエンディング・テーマに。

    年末にニュー・アルバムのリリースを計画していたが、シングルのプロモーション活動等が忙しく、制作が大幅に遅れる。

  • 2004

    ワールドワイド・アルバム第3弾発売!

    全米ツアーと「SOUL TRAIN」出演の快挙!2年前から制作しはじめたワールドワイド・アルバム第3弾が遂に完成。ジャケット撮影やプロモーション準備に突入する。ワールドワイド盤に関わる活動が主となり、しばらく日本の活動が休止状態となる。

    9月21日(日本発売9月15日) アメリカでのシングル曲決定が二転三転したため、遅れに遅れたワールドワイド・アルバム第3弾「TIME TO SHARE」が満を持してリリース。本場アメリカでの最前線のサウンド・アプローチをベースに、源流にあるソウル・ミュージックへの敬愛を存分に表現した最高傑作アルバム。参加アーティストに旧知の仲であるAngie Stone、MOS DEFを始め、Ivan & Carvin、Ali Shaheedといった音楽好き、R&B好きには垂涎の面々が居並ぶ。確かな音作りと、長年にわたるNY生活で培ってきた人間交流から生まれたアーティスト・パワー、人として男として厚みと深みを増した久保田の魅力がぎっしりと詰め込まれた作品となっている。アルバムからのプロモーション曲「BREAKING THROUGH」は、US Radio,TVのBlackChannelで人気を博す。

    「TIME TO SHARE」のリリースを前後して、アンジー・ストーン、アンソニー・ハミルトンのオープニング・アクトとして全米各地をツアー。最初はジャパニーズ・ソウルマンを不思議な目で見ていたブッラク・オーディエンスも、最後は感動の拍手で包み込んでくれた。

    10月 アメリカン・ソウルミュージックの殿堂とも言われるTV番組「SOUL TRAIN」の名プロデューサー、ドン・コーネリスが「TIME TO SHARE」を絶賛。日本人ソロ・ヴォーカリストとして「SOUL TRAIN」に初出演の快挙。惜しむらくは、本番で被った帽子が少々大き過ぎた…。

  • 2003

    全国ツアーではじまり、自身初のクリスマス・ソングで締めくくる。

    3月13日〜6月1日 前年発表した3枚のアルバムをひっさげ、全国ツアー「mo’bounce to the ounce」スタート(全国38本)。慣れ親しんだ前回のツアーメンバーと共に、最高のエンターテイメントを提供する。多くの感動と元気を観客に与え、語り継がれるライブとなる。

    5月8日 ビデオクリップ「SUPER DUPER VOL.7 THE BADDEST Ⅲ on FILMS」リリース。「LA・LA・LA LOVE SONG」「Cymbals」他ライヴ映像を含む全11曲収録。

    6月 ツアー終了後ニューヨークへ戻り、ほぼ1年を費やしたワールドワイド・アルバム第3弾の最終レコーディングに入る。

    10月 日本のための新譜レコーディング、プロモーション・ビデオ撮影のために帰国。

    12月10日 久保田にとって初めてのクリスマス・ソング「Our Christmas」(au着うた&着ムービーキャンペーン・ソング)リリース。カップリングはNECノートパソコンCMソング「La vie son Musique」、CX系「笑う犬の情熱」のオープニング・テーマ「FUNKY DOGS」。

  • 2002

    アルバム3枚リリース! 台湾ではカンフーを決める!?

    年始のTV特番「最強運芸能人決定戦」で久保田が10位に。普段は澄いを気にしない久保田なのに「こいつは春から縁起がいい!」と初笑い。

    2月20日 シングル「Respect(this&that)」リリース。ラブソングに込められた平和へのメッセージを如実に表現したファンキー・ポップソング。

    4月10日 日米通算12枚目のオリジナル・アルバム「United Flow」リリース。ネオソウルの先駆けとも言えるこだわりの作品群。スタイルはFunky&Mellow。初の試みとして、作詞に直木賞作家・山田詠美氏、音楽評論家であり音楽プロデューサーの松尾潔氏を迎え、彩りを添えている。

    5月 ワールドワイド・アルバム第3弾のデモ・テープ制作をはじめる。全米のプロデューサーやアーティスト達と積極的にコラボレイトし、レコーディングも随時おこなう。

    5月10日「United Flow」発売記念SPACE SHOWER TV presents”United Flow” night。一夜限りのアコースティック・ライヴを六本木「スウィート・ベイジル」で開催。

    7月24日 スペシャル・ベストアルバム「THE BADDEST〜Only For Lovers In The Mood〜」を限定盤として発売。ヒットソングにこだわらず、久保田自薦のR&B好きの人のためだけに選曲された、もうひとつのベストアルバム。新曲として往年のコーラス・グループ「Whispers」の「In The Mood」をカバー。秀逸なヴォーカルに圧倒される。山田詠美氏の書き下ろし小説と抱き合わせで発売され、話題となる。

    8月 大ファンだったCX系TVバラエティ番組「笑う犬の情熱」のテーマ曲を制作することに。曲提供のみの予定が、番組プロデューサーより出演依頼。乗りかかった舟と、10月改編よりウッチャンナンチャン、ネプチューンとともに、思い切りパフォーマンス。

    12月4日 ベスト・アルバム「THE BADDEST III」リリース。「LA・LA・LA LOVESONG」「Cymbals」「Candy Rain」「Summer Eyes」「AHHHHH!」等々、名曲てんこ盛りベスト。全17曲収録。

    12月8日〜10日 初のアジアキャンペーンで台湾入り。10年以上に渡る生活でアメリカは熟知しつつも、アジアについてはほとんど見識がなく、不安を抱えて来台する。しかしながら台湾での人気は凄まじく、大勢のファンとマスコミに追われながら秒刻みのスケジュールをこなすこととなる。見知らぬ隣国に対する愛着が増大し、以後感謝と興味を持って接することとなる。

    アジア中のマスコミを集めた記者会見でチャイナ服を贈られた久保田は「むかしカンフーをやっていた」とポーズを取る過剰サービス。翌日の各新聞はカンフー・ポーズの久保田の写真に「日本R&B界のゴッドファーザー」と書かれていた。

  • 2001

    久し振りの夏休みの後に、9.11テロ! 自分を見つめ直した1年。

    1月28日の全国ツアー終了とともにニューヨークへ戻り、US盤2nd.シングル「MASQUERADE」のプロモーション・ビデオ撮影、2nd Promotion期間に突入。

    初夏までスケジュールにしばられ、2年ぶりの短い夏休み休暇をようやくゲット!

    8月 日本盤シングルのレコーディングがスタート。アメリカで構想を練り、その後日本でスタジオに入る。この頃、自室に置いてあったスーツケースに足をぶつけ、なんと薬指を骨折! その時に使っていた松葉杖は、のちにファンクラブでプレゼントされた。

    11月14日 CX系TVドラマ「水曜日の情事」主題歌「Candy Rain」リリース。カップリングはNEC N503is携帯電話CMソング「In your flow」。「Candy Rain」を都内のスタジオでレコーディング中、NY WTCテロのニュースを受け、衝撃を受ける。この事件は、久保田が元々携える哲学を改めて見直すきっかけとなり、事後の作品に、より強く表現されるようになる。

    NYテロ事件により、アメリカへの渡米がままならず、次作日本盤アルバムの制作を日本で始めることとなる。

  • 2000

    日米リリースと全国ツアー。10年振りのドレッドも多忙に負ける!?

    21世紀を迎え、10年振りにドレッド・ヘアーに。すると事態は好転。ようやくワールドワイド・アルバム第2弾の制作が終了する。

    だが休む間もなく、日本のためのシングルとアルバムのレコーディングをJAMMIN’ DOWNTOWN STUDIOで開始。またもスタジオ暮らしに戻り、せっかくのドレッド・ヘアーも急速に型くずれ…。

    6月21日 シングル「Nothing But Your Love」リリース。(Japan Only)

    8月30日 CX系シドニー・オリンピック イメージ・ソング「ポリ リズム」リリース。

    9月27日 日米通算11枚目のオリジナル・アルバム「As One」リリース。過密スケジュールの中、ほぼセルフ・プロデュースに徹した力作。

    10月18日 ビデオクリップ「SUPER DUPER VOL.6」リリース。収録ビデオ「AHHHHH!」「the Sound of Carnival」「SOUL BANGIN’」「ポリ リズム」

    11月1日 アルバム「As One」より「Always Remain」をシングル・カット。小泉今日子氏特別出演に対し、ドレッドヘアをあきらめ、ほとんどアフロヘアに様変わりしている久保田の姿が林屋ぺー氏にしか見えない貴重なプロモーション・ビデオが制作される。

    11月2日〜2001年1月28日 4年振りの全国ツアー「Nothing But As One」スタート(全国34本)。米国で培ってきた実力とスタイリッシュなステージで観客を魅了する。ほとんどのバック・ミュージシャンを米国から参加させ、BGVを初の4人体制にし、贅沢なパフォーマンスを繰り広げる。

  • 1999

    世紀末の久保田利伸は、過密スケジュールに悲鳴を上げる!

    ワールドワイド・アルバム第2弾の構想を胸に新年を迎えるが、今年もブラック・シーンのゆる〜い時間に悩まされる。終着点の見えないスタジオ・ワークがあまりにも続くので、とうとうニューヨークのダウンタウンに を開設してしまう。

    日本のリリースもストップさせるわけにはいかず、しかもシングル2枚同時発売というスケジュールのため、JAMMIN’ DOWNTOWN STUDIOで缶詰になる日々に悲鳴を上げつつも、なんとか頑張る!

    7月28日 TOYOTA LAND CRUSER新型 のCMソング「SOUL BANGIN’」と、TBS系TVドラマ「独身生活」主題歌「the Sound of Carnival」を同時リリース。

    8月 超多忙なスケジュールを縫い、新曲プロモーションのために久々に帰国。

    8月21日 久保田が詞曲を手がける東宝映画「メッセンジャー」(主演:飯島直子・草なぎ剛)全国公開。出演者全員が歌えるラップ曲というリクエストを受け、楽しく軽妙なサウンド作りに勤しむ。映画のエンドロールに流れる出演者の振り付けは、久保田がNYから電話でBro.KORNさんに頼み上げて指導してもらったもの。バドワイザーのCMとしても起用され、全国的に「楽勝!楽勝!」の声が響き渡る。映画公開初日挨拶で出演者と共に舞台に立つ。控え室で「カトチャンのイラスト入りライター」を飯島直子氏に見られ、笑われる。

    9月8日 映画「メッセンジャー」のオープニング曲「No Lights…Candle Light」と、同エンディング曲「Messenger’s Rhyme〜Rakushow, it’s your Show!〜」。(映画内で使用した飯島直子さんの声をサンプリングし、彼女のかわいらしい「楽勝!」という声が聴くことができる。)を収録したマキシシングルをリリース。

    ニューヨークに戻った久保田は再びスタジオにこもり、そのまま21世紀を迎えるのだった。

  • 1998

    ノルウェーの最北端でAHHHHH!!!!!

    2月 ニューヨークでワールドワイドリリース・アルバムの制作プランに入る。と同時に、突如としてファンキー・ミッキーから一気にショート・ヘアに! デビュー以来久々のショート・ヘアで、身も心も若返る!?

    3月 日本テレビ「進ぬ! 電波少年」の番組企画で、アフリカ – ヨーロッパ縦断ヒッチハイクに挑戦してる朋友(パンヤオ)の応援歌を、松本明子嬢から依頼される。そして快諾。

    3月 米国におけるコロンビア・レーベルとの契約を終了し、エピック・アメリカとドメスティック契約を締結。

    6月 朋友の応援歌「AHHHHH!」のレコーディング。と同時に、今度はショート・ヘアを真っ白に染める! この後、久保田は日本のサッカー選手・カズが同じようなヘア・スタイルにしていることを知り、「ボクはカズの真似したんじゃないのら!」と必死の弁明。また、「AHHHHH!」の広東語バージョンにも果敢にチャレンジ。しかし、その発音とノリの難しさに無念の玉砕! 嗚呼…。

    8月 真っ白なショート・ヘア中止! 理由は、強力な染料が頭皮を破壊しはじめたため! トホホ…。

    9月 「AHHHHH!」のプロモーションのために一時帰国。5 – 7日の大阪キャンペーンでは公開放送に出演し、怒涛の人波! 歓声と涙で大パニック!

    9月18日 「AHHHHH!」リリース。

    10月 香港で製作された久保田のベストアルバム「電波精選」が、マライア・キャリーのアルバムを抜き、堂々チャート1位に輝く!また、アメリカではワールドワイドリリース・アルバムの制作が佳境に入る。しかし、ブラックミュージック系アーティストならではのルーズな仕事ぶりに、頭を抱えることも…。

    11月11日 – 15日 日本テレビ「進ぬ! 電波少年」番組ロケのため北極へ! ノルウェー最北端からの生放送で「AHHHHH!」を熱唱。この時、生まれて初めて見るオーロラに大いに感動する。

    12月21日 香港音楽界の四天王の一人・レオン・ライが「AHHHHH!」の広東語バージョンを日本リリース!

  • 1997

    アメリカ奔走。束の間のファンキー・ミッキー!

    2月21日 TBS系TVドラマ「君が人生の時」の主題歌「Cymbals」(シンバル)をリリース。この作品は、アレンジャーとして久保田をサポートし続けている柿崎洋一郎との共同プロデュースである。

    3月1日 ライヴ・ビデオ「TOSHINOBU KUBOTA CONCERT TOUR’96 “Oyeees!”」リリース。ツアーの感動が自宅でよみがえり、一人でダンス・パーティーをするファンが続出。また、温泉や銭湯では「ハッ! ビバノンノン!」のかけ声がリバイバル!?以降、アメリカでの活動がメインになる。ニューヨーク、L.A.などアメリカ国内を奔走。次なるアメリカ発売のレコード制作の構想、スタッフ、プロジェクト等の見直しなど、膨大な時間をかけることになる。

    9月19日 久保田が参加したWORLD WIDE RELEASEのコンピュレーション・アルバム「THE BRIDGE」が日本国内リリース。久保田以外の参加アーティストは、マイケル・センベロ、カルロス・ジョビン等。このレコーディングのために久保田は、何度もニューヨークとL.A.を往復し、時差ボケに悩まされていた。その時にマイケル・センベロが時差ボケの特効薬として久保田に教えたのが「パトロン」というテキーラ。久保田いわく「マイケル・センベロに教わった一番のことは、パトロンの味ですね!」…だって!

    10月 オフィシャル・ファンクラブ「BARI BARI CREW」の年末プレゼント大特集のためにニューヨーク取材。この時突然、久保田は頭の左右にWチョンマゲを結ぶという暴挙に出る。このヘアー・スタイルを自ら「ファンキー・ミッキー」と名付け、大いにアピール。ファンの間で賛否両論の嵐が巻き起こる。

    12月 全国TOWER RECORDSキャンペーン「NO MUSIC, NO LIFE」に参加し、音楽評論家の松尾潔氏との2ショット撮影。サンタクロースの扮装をした久保田のポスターが日本中に貼られるが、久保田自身は選ばれた写真が気に入らず、ご機嫌ナナメになる。「この写真はないよなぁ…」と、うなだれる久保田の頭で、ファンキー・ミッキーが揺れていた。この時はまだ、誰もファンキー・ミッキーの短い命に気づいてはいなかった。

  • 1996

    大ヒット曲と2年半振りの全国ツアー!

    5月13日 16枚目のシングルとなる「LA・LA・LA LOVE SONG」をフジテレビ系ドラマ「ロングバケーション」の主題歌としてリリース。レコーディングにスーパー・モデルのナオミ・キャンベルが参加したことも話題となるが、番組も好視聴率を記録し、「LA・LA・LA LOVE SONG」は200万枚を超える大ヒットとなる。これによって新たなファン層が一気に拡大する。

    5月25 – 27日 フジテレビが臨海副都心に開設したライヴスペース「POP-STOCK」のこけら落としイベント””PARTY ON!!””UNDER A GROOVEに出演。久保田の発案により、ニューヨークのクラブ空間をイメージした会場ではビールやスナックも販売され、エントランスにはDJショー。さらに、ステージでもフリー・ダンスを多用するなど、ニューヨークでの充実した活動を知らしめるイベントとなった。

    6月25日 全米で、キャロン・ウィラーとデュエットの2nd.Single「JUST THE TWO OF US」リリース。プロモーション・ビデオは、ロス・エンジェルスのパラマウント・スタジオで撮影される。全国ツアー「Oyeees!」スタート。(’97年1月12日まで全国22本のアリーナ・ツアー)2年半振りとなった全国ツアーは大反響。しかし、恒例の代々木体育館コンサートが台風のために延期となるアクシデントもあった。この時、延期を知らずに会場に集まったファンのために久保田は「帰るに帰れないでショー」を無料開催。その思いやりのショーの模様が、翌日の新聞を飾り話題となる。

    10月15日 サントリービール“HALF&HALF”(映像は著作権の関係で見られません。ゴメンネ!)のCM放送開始。アカペラでグルーヴする久保田の姿が賛否両論を呼ぶ。いわく「気持ち悪い!」。いわく「すごいリズム感!」。このCMの真似をして咳き込む若者が続出した。

    12月2日 7th.Album「LA・LA・LA LOVE THANG」リリース。このアルバムは久保田にとっては初めてのCD EXTRAで、パソコンで久保田の野球拳や塗り絵、プロモーションVTRダイジェスト等が楽しめる。

  • 1995

    ついに全米デビュー実現!

    1月28日 6th.Album「BUMPIN’ VOYAGE」リリース。これは、ニューヨークで作り続けていた楽曲をまとめた入魂の作品集でもある。

    7月7日 15枚目のシングル「虹のグランドスラム」をABC放送全国ネットの野球アニメ「H2」の主題歌としてリリース。初のアニメ主題歌で、子供達にも久保田人気が拡大する。

    8月29日 アメリカのコロンビア・レーベルより、toshi KUBOTAの名前でシングル「FUNK IT UP」をリリース。念願の全米デビューを果たす。

    9月5日 全米でアルバム「SUNSHINE,MOONLIGHT」をリリース。同時に地道なライヴ活動を展開、着実に「toshi」の名が認知され始める。

    9月10日 「SUNSHINE,MOONLIGHT」に3曲のボーナス・トラックを加え、日本国内リリース。全編英語の歌詞にもかかわらず、日本のファンは大きな喜びを持ってアルバムに耳を傾けた。

    10月1日 TOKYO FMパーソナリティー番組「PLANET FLAVA」スタート。(’96年4月7日より全国ネット)

  • 1994

    全米デビューの道は険しい!

    3月 日本ハムのCM撮影のため一時帰国。このCM出演は、久保田の中学時代の先輩である日本ハム球団の広瀬哲朗選手との縁で実現した。これ以後、日本ハムと久保田の関係は長く続く。

    9月 新曲「夜に抱かれて」のプロモーション・ビデオ撮影で初めての上海。この頃の久保田は、ニューヨークで全米デビューに向けて日夜奔走していた。事実、上海の撮影が終わるとその足でニューヨークに戻る。
    しかし、まったくの新人として全米デビューを目指す久保田にとって、日本とは音楽業界のシステムが違うアメリカの壁は厚かった。
    この年はデビュー以来毎年リリースしていたアルバムもなく、恒例の全国ツアーも休み、日本のファンは久保田の行方を心配し始めていた。

  • 1993

    初めてのジャマイカに心頭する!

    3月 コカ・コーラのCF撮影のため初めてジャマイカを訪れる。ジャマイカはじまって以来の大掛かりな撮影となり、村人総出のお祭り騒ぎ。そうした純朴な人々の心に心頭した久保田は、これ以後プライベートでもジャマイカを訪れるようになる。

    7月15日 「EVRY’TING COOK AN CURIE!」ツアーがスタート。(10月31日まで全国52本)ジャマイカン・テイストたっぷりのステージは大好評を博し、パーソナル・オフィスでの仕事も軌道に乗る。

    8月 ジミー・クリフと夏のスペシャル・イベントで2回共演。「ジミー・クリフって、なんてファンキーなオジサンなんだ!」と感想を語る。

    9月22日 Best Album 2nd.「THE BADDEST II」リリース。

    11月 次作構想と全米デビュー実現を心に秘め、ニューヨークへ。

  • 1992

    ファンキー・ジャム設立〜全米デビューへ本格始動!

    2月 ニューヨークの「Electric Lady Studio」でレコーディング開始。ニューヨークでのレコーディングが久保田の定番となり、一流アーティストとの交流もさらに深まる。と言っても、一緒に寝るほど交流が深まったわけではない。

    3月 FM802でパーソナリティ番組「Keep On Jammin’」スタート。

    3月19日 雑誌「POPEYE」に連載していたエッセイ集「リズミズム」が初の単行本となりマガジンハウスより出版される。

    4月22日 TOKYO FM主催「Earth Concious Concert」に、キャロン・ウィラーと共に出演。日本武道館で行われたコンサートの模様は、全世界に衛星中継された。

    6月26日 「Funkin’ On Neptune」ツアーがスタート。(10月1日まで全国60本)

    7月1日 5th.Album「Neptune」リリース。

    11月 パーソナル・オフィス、(株)ファンキー・ジャムを設立。かねてからの念願だった全米デビューに向けて本格的に始動開始する。

  • 1991

    ナイジェリアで感動の大合唱!

    3月21日 ’90年にレコーディングしたアリソン・ウィリアムスとのデュエット曲「Forever Yours」をシングル・リリース。プロモーション・ビデオのアリソンのド派手な衣裳に話題集中。

    5月 アサヒ「バヤリースオレンジ」のイメージ・キャラクターを歴代に渡り務めていたチンパンジーに代わり、久保田がCM出演。

    6月 ニューヨーク「Electric Lady Studio」でレコーディング開始。

    9月21日 Special Album PARALLEL WORLD ??もう一人の久保田利伸?「KUBOJAH」リリース。これは、ラバーズ・ロックを意識したレゲエ・テイストたっぷりの企画アルバムで、久保田が敬愛する「SOUL II SOUL」の元ヴォーカリスト、キャロン・ウィラーも参加している。これ以後、久保田とキャロンの親しい付き合いが始まる。と言っても、一緒に寝るほど親しい付き合いではない。(「KUBOJAH」の「JAH」とは、ジャマイカで神を表す言葉)

    11月28日 アフリカのナイジェリア、ラゴス球場で開催されたチャリティー・イベント「Children Of Africa」に出演。このイベントは黒人によるアフリカの子供達救済が主旨だったが、キャロン・ウィラーが久保田にも出演をリクエストし、唯一の日本人アーティストとして参加が実現した。ステージに立った久保田は、オリジナル曲「MAMA UDONGO~まぶたの中に…~」と、ジミー・クリフの名曲「Many Revers To Cross」を熱唱。図らずも観客との大合唱になるという感動を味わい、涙もろい久保田は、もちろん泣いた。

  • 1990

    憧れのアーティスト達と共演!

    1月 ニューヨークの「Right Track Studio」でニュー・アルバムのレコーディング開始。この時期、久保田はドレッド・ヘアーにするがニューヨークの黒人達に笑われて、すぐにやめる。トホホ…。

    7月15日 4th.Album「BONGA WANGA」リリース。このアルバムは、「ボクがレスペクトするアーティスト達と一緒に作りたいら!」という久保田のワガママのため、制作費も莫大なものになってしまった。参加アーティストは、ジョージ・クリントン、ブーチィー・コリンズ、トゥース・シールマンズ、JUJU、リン・デイビス等々、気絶するほどギャラの高い連中ばかり。さらに、アルバム収録には間に合わなかったもののニューヨークのソウル・シンガー、アリソン・ウィリアムスとのデュエットも実現。やりたい放題の久保田であった。

    10月11日 「日本一のBONGA WANGA 男s TOUR」スタート。(’91年4月22日まで全国61本)このツアーには、アルバムにも参加した女性ヴォーカリスト、リン・デイビスも来日。このツアーの合間をぬって、フジテレビ特番収録のため渡辺貞夫氏と共に黒人音楽のルーツを探るべく、アメリカ、ブラジル、ヨーロッパ、アフリカを1ヶ月かけて旅行。何もしゃべらないナベサダに代わり、リポーター役に徹する久保田であった。

    12月 東京ドームで開かれたジョン・レノン生誕50周年祭「GREENING OF THE WORLD」に出演。ナタリー・コールと「TICKET TO RIDE」をデュエットする。だが久保田本人は、どうしてブラック・フリークの自分がジョン・レノンの生誕祭に呼ばれたのか、不可解な面もちであった。

    12月31日 NHK「紅白歌合戦」に出演。ニューヨークからアリソン・ウィリアムスとの共演を中継する。この出演は、久保田の父親が「一度だけでいいから、紅白に出てくれら! 田舎じゃ紅白に出ないと一人前の歌い手として見てくれないら!」と懇願したため実現した。

  • 1989

    ベスト・アルバムが200万枚突破!

    1月18日 「I Need Your Funky Thang!」ツアーがスタート。(6月29日まで全国88本)

    7月 ミネアポリスの元プリンスのハウス・スタジオ「Paisley Park Studio」で初のベスト・アルバムのリミックス。

    8月23日 NEW BLOOD PRESENTS「FUNKA HIPS LIVE SHOW」と銘打ち、全国12本のツアーをスタート。このライヴは、ブラック・フリークと自他共に認めるDA BUBBLEGUM BROTHERS、AMAZONS、GWINKO、冨樫明生等のアーティスト達が集まり、ある種ミュージカル的ステージで高い評価を得る。

    10月8日 Best Album「THE BADDEST」リリース。200万枚を突破して久保田もビックリ。

    11月 デビュー以来ハード・スケジュールをこなし続けた御褒美に、長期休暇がもらえる。ニューヨークへ渡り次作の構想を練りつつも、久保田はこの頃から本格的に全米デビューを考え始めていた。

  • 1988

    初の海外レコーディングとミリオンセラー!

    5月19〜21日 「Keep On Dancing Tour Last」と称し、初の国立代々木第一体育館(オリンピック・プール)でスペシャル・ライヴ。全公演のチケットが5分で売り切れ。この後、オリンピック・プールでのライヴが定例となる。また、この頃になると観客も久保田のダンサブルなステージに積極的に参加するようになり、会場全体がダンス・ホールと化す「GO GO DANCE PARTY」は快感的マンネリズムの極として定着。(このコンサートでカバー曲「In The Rain」を歌う時に、ステージに雨を降らせるという仕掛けが話題となるが、実は器材がズブ濡れになったり、中止したくなるくらい大変だった!)

    6月 ロス・アンジェルスの「Indigo Ranch Studio」で3rd.Albumのレコーディングがスタート。この頃の久保田にとっては「夢の海外レコーディング」だった。

    7月 カセット・テープ「maxell UD 」のCMに出演。

    9月 雑誌の取材で初めてのアフリカ・ロケ。ケニアに10日間滞在しアフリカへの思いが一段と燃え上がる。

    9月30日 3rd.Album「Such A Funky Thang!」リリース。久保田にとって初めてのミリオンセラー・アルバムとなり、「FUNKY」という言葉が音楽を超えて流行語のようになる。

    10月 再度「夜のヒットスタジオ・デラックス」のマンスリー・ゲスト。この時はイジメにあわずに済む。
    同時期、TOKYO FMでパーソナリティー番組「LAND OF GROOVE」が全国ネットでスタート。

  • 1987

    遂に知名度も定着!

    4月4日 FM横浜で、初のパーソナリティー番組「SHAKE IT PARADISE」スタート。軽妙な口調と気さくな素顔が人気に拍車をかける。

    4月22日 2nd.Album「GROOVIN’」リリース。

    5月8日 「GROOVIN’」ツアーがスタート。(8月17日まで全国31本)

    10月 フジテレビ「夜のヒットスタジオ・デラックス」に新人ながらマンスリー・ゲストに異例の大抜擢。4週間連続の出演で、久保田の知名度が年齢を超えてお茶の間にまで定着する。

    11月28日 「Keep On Dancing」ツアーがスタート。(’88年4月30日まで全国70本)ますます磨きのかかった久保田のパフォーマンスに、全国の会場がダンス・ホールと化す。

    12月29日 ブラック・ミュージックをこよなく愛する久保田の発案で、同好のミュージシャンが集まりシークレット・ギグ「FUNKY DYNAMITE」を渋谷ライヴインで開く。
    久保田みずからアフロ・ヘアーのカツラで「BOOTSY KUBOTA」と名乗り、ブラック・フリーク好みのカバー曲のみを熱唱するが、あまりの宣伝不足で観客はまばら。
    しかしクチコミで噂が広がり、結局は満杯となって午前4時まで盛り上がって大成功を納める。

  • 1986

    やっとデビュー! たちまちスター!!

    SONY RECORDSからもらった新型ウォークマンが旧型になる頃、業を煮やしたか満を持したか、プレゼンテーション・テープ「すごいぞテープ」を作成。スティービー・ワンダーのカバー「We Are The World」メドレー等、抜群の歌唱力とリズム感が大きな衝撃を与え、さらにマスコミの注目を集める。
    機を見るに敏なSONY RECORDSは、ここぞとばかりに久保田のデビューを決定。(この「すごいぞテープ」は限定非売品だったため、テープのコピーがチマタで高額売買された)

    6月17日 TOKYO FM HALLで、ついにデビュー・ライヴ。押し寄せた音楽業界関係者が入りきれずパニックとなる。これを皮切りに全国でコンベンション・ライヴを開く。

    6月21日 SONY RECORDSから待望のデビュー・シングル「失意のダウンタウン」をリリース。「やっと本当にデビュー出来たら!」とタメ息。

    9月10日 1st.Album「SHAKE IT PARADISE」が、狙いすまされた一撃の如くリリースされる。
    このアルバムに収録された「流星のサドル」と「Missing」は、未だシングル・カットされていないものの、久保田の代表曲として広く定着している。

    9月25〜27日 渋谷パルコ・スペースパート3でオール・スタンディング・コンサートを行う。女性3人のコーラス・グループ「AMAZONS」と繰り広げる完成されたライヴ・パフォーマンス。それは、今までの日本人アーティストには見られなかったもので、観客は圧倒されながらも大きな支持で受け入れた。続いて、「SHAKE IT PARADISEへようこそ」ツアーで、初の全国7大都市コンサート。久保田のパフォーマンスは、一気に全国区に広まる。また、この頃を前後して、当時フジテレビの人気番組「オールナイトフジ」の看板ライヴ・アーティストとなる。

    11月1日 全国の学園祭ツアーがスタート。ここでも多くの観客が、初めて体験する久保田のブラック・テイストあふれるパフォーマンスに夢中になる。

  • 1985

    えっ!? まだデビュー出来ないの!?

    (株)キティミュージック(現ユニバーサルミュージック)と待望の専属契約。
    「よしっ! これでレコード・デビューら!」と意気込むが、岩崎宏美、小泉今日子、鈴木雅之…多くのアーティストへ楽曲提供の日々が続く。

    「早く自分がデビューしたいら!」のジレンマの中、田原俊彦に書いた「It’s BAD」が大ヒット。それまで認知の低かった日本語のラップが話題を呼び、久保田自身の知名度も徐々に高まる。

    これに勢いを得て、自らライヴ・ハウスをブッキングしライヴ活動を再開。観客動員数も増えて次第にマスコミの注目を浴びるようになり、「久保田利伸争奪戦」が各レコード会社間で急速に激化。そして、「契約書にサインすれば新型ウォークマンをオマケに付ける!」という一言に誘惑され、久保田はSONY RECORDSと契約を結ぶ。

    こうして久保田は新しいウォークマンを手に入れたのだが、まだデビューは出来ない! 甘くない!! 「こんなハズじゃないら!?」

  • 誕生

    日米リリースと全国ツアー。10年振りのドレッドも多忙に負ける!?

    生まれたばかりの久保田を見たお坊さんが、「こりゃぁ立派な赤子ら! スゲー男になるら!」と感嘆。久保田家最初で最後の男児誕生であった。7月24日・静岡県出身。獅子座。O型。(言葉の最後に「ら」が付くのは、久保田の地元の方言。だから、ララという外人女性を見かけた時「ララら!」となり、ここから大ヒット・ソング「LA・LA・LA LOVE SONG」が生まれたという逸話もある…)

    子供の頃から野球好きで、高校時代は甲子園を目指して練習に明け暮れる。が、もうひとつの壮大な夢であった音楽の道を極めるべく野球を断念。駒沢大学入学と同時に上京し、ファンク・バンド「ホッテントット」を結成する。

    ホッテントットの活動の中心は東京のライヴ・ハウスだったが、観客数がメンバーより少ないこともよくあった。そんな悲惨な状況にもめげず、久保田は自分の実力を信じてコンテスト「East West」に出場。見事にベスト・ヴォーカル賞を獲得し、ちょっとテングになる。で、大学の先輩に怒られる。

    ともかく、こうして歌の実力を認められた久保田は、アマチュアながらも松岡直也氏のアルバム「LONG FOR THE EAST」でゲスト・ヴォーカリストとしてソロをとる。曲名は「THE LATIN MAN」。


Other Artist